”ウズベキスタンが教えてくれた”
”ウズベキスタンが教えてくれた”
ウズベキスタン行き決意
「ワールドカップ本大会4回連続出場が
ウズベキスタンで決定するかもしれない。」
バーレン戦後、迷いなくウズベキスタンへ行こうと決意した。
もともと、中央アジアは興味があり「いつか行けたらいいなー」と思っていた。
シルクロードの中核的な国、
特にアジアとヨーロッパが一緒になった文化、
イスラムの国、
旧ソビエト連邦の一国、様々な興味をかきたてる国であった。
ただ、その他の知識もなく 「・・・・・・スタン」 と言う国名に
何か、危険を感じさせるのは確かだった。
しかし、「日本代表と決定の瞬間を共に味わいたい」気持ちと
「ウズベキスタンを見たい」気持ちで迷いなく計画を進めた。
首都タシケント到着
ウズベキスタンの首都タシケントは「シルクロードの中心」なので
砂漠の中に、ちょっとしたオアシスのある場所と考えていたが、緑が多く
ここが中央アジアの真ん中なのかと思わせるほど自然豊かな都市である。
街の人々は様々な人種が混在しているが、とても落ち着いて
僕たちが日本人と分かると気さくに話しかけてくれる。
結構一人で来ている人も多くすぐに友達になった。
紀さん(左)と中尾さん(右)
紀さんは、柏サポーター、中尾さんはFC東京サポーター。
普段、戦っている相手サポーターと交流できるのも代表戦の楽しみ。
泊まったホテルはスタジアムのすぐ隣であったが、ウズベキスタン代表選手と同じホテルだったためトラブルを避けるため、日本人は自由行動ができず
1日、観光バスで市内観光をした。
1947年に完成した劇場。
第2次世界大戦中、旧ソ連に抑留されタシケントに連れて来られた日本兵が建築に強制労働させられた。
そして、ここの記念碑には「日本兵が建築に参加した」と記述してあるが、
これは、”参加”ではなく「強制労働だった事を忘れてはならない」と
現地人ガイドは力説していた。
1966年の大地震でタシケントの街は完全に崩壊した。
しかし、この建物だけが、大地震に耐え残ったと言う。
タシケントの人々は、日本人が造った建物の奇跡に驚き、
日本人の物造りに対する誠実さを思い知ったと言われている。
手前の噴水の所には日本人抑留者の居住場所があり、現地の人との接触は禁止されていた。
20代前半の若者達は、タバコが欲しく近づく人に「タバコをくれ」と、さかんに手振りで訴えていたと言う・・・・・。
いざ、決戦の時
試合当日は、さすがにタシケントの中心は厳戒態勢。
スタジアムの日本人サポーター入口のフェンスにバスが横付けでスタジアム入りした。
スタジアム入場
スタジアムに入ると外部より深くピッチが掘り下げられ、外部で見るより観客席が広く見えた。
そして、完全アウェイの独特の雰囲気が辺りを包んでいた。
2人はリベロというユニットを組んで、今月からワールドカップ本大会まで
「世界一蹴の旅」をしてフットボールで世界と交流して行く。
「世界一蹴の旅」
(クリックしてください。・・・お二人の旅の様子が見れますよ)
勝利!!
ワールドカップ本大会4回連続出場決定!!
あっばれ!!
日の丸と日本代表選手がとても眩しく見えた。
ウズベキスタンの京都 サマルカンドへ
首都タシケントが東京とすると、サマルカンドは京都の様な街以前は首都であったが、タシケントに遷都されたらしい。
バスで約5時間。
その昔、唐を出た玄奘三蔵(三蔵法師)も、ここサマルカンドに来たと言われている。
これは女性のお墓です。
モザイクタイル彫刻を施したマジョリカタイルの組み合わせ。
建物一つ一つがお墓。
イスラム教なのでこの下、地中数メートルに土葬されている。
日本の戦国時代から徳川初期(15世紀~17世紀)に
造られたレギスタン広場。
建物は神学校。
この広場で作年11月、東儀秀樹がコンサートをやったらしい。
・・・・・そして最後にウズベキスタンが教えてくれた事・・・・・
<日本人墓地>
第2次世界大戦後日本人65万人がスターリンにより、シベリアに抑留され、そのうち2万3千人が、ウズベキスタンで強制労働を強いられたうち817名が帰らぬ人となりここには87人が眠っている。
旅の最後に日本人墓地を訪れた。
同行した人達は、最初は談笑しながら墓地に向かったが、墓地に到着するなり無駄話をする人は誰もいなく、シーンと静まりかえっていた。
木に掲げられた日の丸を目にしてからである。
昨夜の日本の勝利に歓喜し、ついさっきまで、その余韻を残しながら観光をしていた我々の心の中には、きっと同じ気持ちが沸き立ったと思う。
「ワールドカップで世界と戦う」、その目的で「君が代」を歌い、日の丸を振って日本人としての誇りを感じていた矢先、ここに誰かが掲げた日の丸の意味の重さが、87名の墓石と共に無言で押し寄せて来た。
最敬礼でその場を後にする人、
涙が流れないように天を仰ぐ人、
じっと手を合わせ微動だにしない人。
自然に現地人の日本人墓地の管理人に1人1人握手をしてお礼を渡し、その場を後にして行く。
自分も涙が止まらず一番最後に管理人と握手をし、お礼を渡した。
管理人は胸に手をあて軽く挨拶してくれた。
言葉はなかったが、「日本人に教えてくれ」と言っているようでバスに乗るまで涙が止まらなかった。
ワールドカップはフットボールを通じて世界の国、文化、人種、宗教を
理解、尊重し、人々が交流し、平和を願う世界イベントであって欲しい。
たぶん、今回同行した人達は、ここを訪れ同じ気持ちだったろう。
ウズベキスタンの人達は試合翌日から出発まで
「日本おめでとう」と声をかけてくれた。
バスに乗っているのが日本人と分かると手を振ってくれた。
この国の心の広さを感じた瞬間であった。
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